素材という記憶
福井直子の作品に初めて出会ったとき、視線よりも先に、記憶の奥が反応した。
どこかで感じたことのある温度、だが言葉にはできない感覚。
それは、懐かしさと驚きがまじり合ったような、心の片隅で眠っていた感情の微かな揺らぎである。
彼女の作品には、絵具だけではない。絵画という形式を超えて、布やビーズ、スパンコールといった異素材が繊細に縫い込まれている。
それらは単なる装飾ではない。まるで誰かの記憶を縫いとめたような、時間の層そのものである。
この素材の選び方には、彼女の原風景が色濃く反映されている。
手を動かして何かをつくることが当たり前だった幼少期。
編み物をする祖母、紙人形をこしらえる母。その手のぬくもりに囲まれて育った日々が、福井の作品には織り込まれている。
描くという行為は、彼女にとって「再現」ではなく「記憶の編集」である。
どこかで出会った光や音、肌にふれた感触や、そのとき浮かんだ感情を手繰り寄せ、素材と絵具とで封じ込める。それはひとつの記憶装置であり、同時に見る者にとっては新たな物語の入り口となる。
縫いとめるという決意
福井の作品は、油絵を基盤としながら、絵画にとどまらない多層的な構造を持っている。
キャンバスに筆を走らせたあと、彼女はそこに異素材を縫い込んでいく。ビーズやスパンコールは光を受けてわずかに反射し、視線を引き込み、絵の中に微細な時間の流れを生み出す。
この「縫い込む」という作業には、高度な集中と技術が必要とされる。
絵画に針を刺すという行為は、やり直しのきかない一発勝負である。
絵の構成を崩さぬように、素材の質感と光のバランスを考えながら、一針ずつ丁寧に進めていく。まるで封印のように、記憶をそっと閉じ込める工程である。
ここで使われる布やビーズは、すべてが新しいものではない。
長く人の手を渡ってきたような質感のある素材が選ばれている。素材の一部にすでに刻まれた「時間」が、作品の奥行きをさらに深めている。
こうした技法によって、福井の作品は単なる視覚的な美しさにとどまらず、触覚的な記憶や感情までも呼び起こす力を持つ。
平面でありながら、作品の内部に立体的な記憶が埋め込まれているような印象を与えるのだ。
絵の中で、記憶が息を吹き返す
福井直子の作品には、明確な物語や主題は描かれていない。
だが、その画面には、誰しもの中にある「懐かしさ」が立ち上がる仕組みが備わっている。
色彩は穏やかで優しく、刺繍の輝きがそれに寄り添う。作品を前にしたとき、人は自分自身の中にあった光景を思い出す。
かつて過ごしたどこかの家の空気、祖母の針仕事の音、夕暮れの空に浮かぶ雲のかたち。そういった記憶が、作品をきっかけにそっとよみがえるのである。
福井の作品は、絵画でありながら、ひとつの記憶の媒体でもある。
見る人それぞれが、自らの経験を重ね合わせることで、作品の意味が変化し、深まっていく。
その可塑性の高さは、彼女の持つ素材への理解と、時間の扱い方の繊細さに由来している。
また、作品にはある種の「余白」が意図的に残されている。
完成された美術品としての強さを持ちながらも、その中に見る者自身の感情や記憶が入り込む余地がある。
この余白こそが、作品を個人的な体験へと変化させる鍵となっている。
福井直子の作品は、ただ飾るだけの「モノ」ではない。
それは、日常の片隅にそっと置かれた記憶の窓であり、心をふと立ち止まらせる静かな呼び声である。
もしあなたがその声に耳を傾けるなら、きっと、自分の中にも確かにあったはずの「ときめき」と再会することになるだろう。
そのとき、彼女の作品を手元に置いてみたいという気持ちは、ごく自然に、静かに、あなたの中に灯っているかもしれない。
Schedule
Public View
4/19 (sat) 11:00 – 19:00
4/20 (sun) 11:00 – 17:00
2025年3月14日(金) ~ 4月5日(土)
営業時間:11:00-19:00 休廊:日月祝
※初日3月14日(金)は17:00オープンとなります。
※オープニングレセプション:3月14日(金)18:00-20:00
※3月20日(木)は祝日のため休廊となります。
会場:tagboat 〒103-0006 東京都中央区日本橋富沢町7-1 ザ・パークレックス人形町 1F